人が「ひと」らしくなくなった理由

人が「ひと」らしくなくなった理由

むかしむかしの大昔のお話し。

人のコミュニケーションといえば、猿やチンパンジーのような叫び声しかありませんでした。
年月が経ち、少しのボディランゲージも加わり気持ちを伝えられるようにもなりました。
現代に生きる私たちにとって、言葉以外の手段で気持ちを伝えることは難しい気もします。

文字もない時代に、叫び声やボディランゲージだけでどのように自分たちの意志を伝えたのか不思議ではありませんか?

 

私個人の見解も少々は含みますが、その答えは感覚(感覚器官)です。

触覚
視覚
聴覚
嗅覚
味覚
その5つ。
五感を最大限に活かしてたから。

ちなみに、人に対する好き嫌いは嗅覚で決まります。
これは人間をはじめとする動物が持つ本能です。

そして、そのコミュニケーション能力は現代人を遥かに凌駕します。

 

で、話しを『人が「ひと」らしくなくなった理由』に戻します。

 

古代人が言葉を遣い始めて少し年月が経ちました。
そうなると、気持ちをより詳細に伝え合うことができるようになります。
その結果、人に上下関係が生じてしまいます。

「アイツより上の立場でいたい」という策士も現れるでしょう。
腕力や知識、狩猟や農耕の技術、そして狩猟や農耕で得た物。それらすべてが権力になります。たまたま穴を掘ってたら、たまたま綺麗な石(パワーストーン)がたまたま見つかり、さらには金(ゴールド)も見つかり、それはもう大変なことです。
お金の誕生。お金への執着まっしぐらという感じですね。
※それまでは物々交換が取引の手段でした。

の始まりでもあります。

我先に獲物を捕り、我先に農耕地を開拓し、我先に大きな土地と住まいを確保し、我先に綺麗な石と金塊を掘り当てる。そして、それらをかざし、自分の下に多くの人を従えます。

さらに時代は進み、知識も豊富になり、それと同時に文明も進化し始めます。
知識と文明が「人」を堕落させ、そこに「欲」が加わることで堕落に拍車がかかります。

そうした結果、私たち人間は五感が鈍くなりました。
人を思いやる気持ちよりも我欲を優先し、人の痛みにも気づけなくなり、コミュニケーション能力の低下で自分の気持ちを素直に表現できなくなってしまいました。

少し現代と似てきましたね。
しかし、このままでいいわけがありません。

『人が「ひと」らしくなくなった理由』は、「お金」「欲」「知識」「文明」その4つが大元で、あと1つ加えるとすれば「コミュニケーション能力の低下」でしょう。

 

『私たち人間は、あのときの五感を取り戻さなくてはなりません』

アフリカの原住民族の視力が8・0や10・0というのに、私たち日本人の視力はよくて2・0です。
それ以上の視力は必要ないと思ってるのでしょうか?
遠くの物音は聴こえなくてもいいんでしょうか?
食べ物本来が持つ味をわからないままでいいんでしょうか?
人が発する匂いを嗅ぎ取れなくていいんでしょうか?
人が発する匂いに鈍感になりすぎたせいで、今みたいに付き合っては別れ、付き合っては別れを繰り返してるのに。

『五感を取り戻す(本質に近づく)のは難しいことではありません』

最後のまとめ

忘れた五感は、瞑想でも取り戻せます。
忘れた五感は、内観でも取り戻せます。
その他、エネルギーワークでも取り戻せます。

取り戻す方法がわからない人は私に連絡ください。

 

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
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