みなさんは「死」という言葉にどのようなイメージを持ってますか?

【死】に対する思い

みなさんは【死】という言葉から何が思い浮かびますか?

忌み嫌い、忌避される言葉というイメージでしょうか?
怖く恐れるような思いでしょうか?

本当にそうなんでしょうか?

 

私が【死】という言葉を聞いて真っ先に思い浮かぶことは、『またね(^o^)/』といったものです。
残念ながら人間と諸動物は魂の成り立ちが違うので「あの世」で逢うことはありません。

【死】とは、この世で借りていた肉体が病気や事故で宿れなくなり、生まれた故郷に帰ることです。

魂が(意識体が)滅びることはほとんどありませんが、魂の融合によってその数は増減します。
ある宗教では、「1つの魂が2つに分かれてこの世に来る」と説いているところもあります。
また、ある宗教では、「動物には魂がない」と説いているところもあります。
とある有名なスピリチュアルな人は「人の魂の元は鉱物からできている」と言った人もいます。

それぞれの考えや思想は自由ですので言及はいたしませんが。

けど、確かなこととして言えるのは、人は人に、犬は犬に、猫は猫に生まれ変わるということです。

【死】から学ぶものは多くあります

最愛の人を亡くす。
大切な友人を亡くす。
可愛がってたペットを亡くす。
追っかけてたタレントを亡くす。

人は誰かの【死】から多くのことを学びますよね。

改めて命の儚さを知り、その大切さを知る人。
与えられた時間には限りがあり、1日1日を大切に生きようとする人。
人が人らしく生きようと(人間の尊厳)努める人。

何を学び、どう活かすかは自由です。
特に何も学ばず、同じ過ちを繰り返すのも1つの生き方だと思っています。

死者への最大の供養は笑顔

下記ブログカードも参考にしていただければ嬉しいです。

人は何故「生」を受け、何故「死」に逝くのか

7月 17, 2019

そちらの記事にも書いたように、人は死に逝くとき後悔の念にさいなまれます。
後悔といっても、エゴである場合が少なくありませんが……。

 

【親】という立場の人がこの世を後にするとき、残した子どもに対し「元気でいられなくてゴメンね」や「先に旅立ってゴメンね」という後悔の念が多くあります。
子どもは子どもで親がいなくてもたくましく育っていけるので、それも言ってしまえば親のエゴかも知れませんね。

 

話しが逸れる前に戻します。

人に限らず、すべての生き物が死に至った瞬間から数十秒は意識が残ります。
この数十秒が、後悔などを含め、走馬灯のようにぐるぐる記憶の海を泳ぐ時間になります。

ですから、死後の数十秒は嘆き悲しむのではなく、笑顔で見送ることで、後悔を減らし「あの世」に帰ることができるんです。

 

これは宗教上、モラル上、人として反することかも知れません。

しかし、先に旅立った人の後悔の念を少しでも和らげるために笑顔が必要なんです。
ひきつった笑顔ではなく、心の底から湧き出る笑顔が何より大切なんです。

残された人がいつまでもめそめそしてると、供養にもなりませんし、その魂はいつまで経っても成仏できません。
結果として、魂が成仏できないまま彷徨わせてしまうことになります。
それは残された人のエゴです。

『笑顔』『ありがとう』という感謝の気持ちで見送ってあげるのが何よりです。

 

私の母が他界したんですが、残された父は「もっと○○してやればよかった」という後悔がありいまだにめそめそしています。
そのお陰で母の魂は成仏できずに今も彷徨ってますからね。

【後悔先に立たず】ということわざの例のような親父です、笑。

 

人の死は、死に逝く人にも残された人にも多くの後悔を抱かせます。

私は常に全力で生きているので、友人や家族を亡くしても『またね(^o^)/』という感覚です。
私が最期を迎えるときは、その『またね(^o^)/』で見送って欲しいと思ってます。

最後のまとめ

今回の記事は取り急ぎアップしたので支離滅裂で起承転結もなってない内容となり申し訳ありません。

『死の本質、魂の本質を知りたいと思う方には内観をおすすめです』
今まで思ってた常識が覆ります。

 

長くなりましたが、いつも最後まで読んでいただきありがとうございます。
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