人は何故「生」を受け、何故「死」に逝くのか

今日のこの記事は、生死観(死生観)を書いたものではなく、「いつか死んでしまうのに人はなぜ生まれてくるのか?」という不思議さについて書いていますので、軽い気持ちで読んでいただければと思います。

1つ明確にさせてくだい

まず、お断りしておきたいことがあります。
私は無宗教ですし、釈迦が実在したかどうか?なんてことはどうでもいいと思っています。
ここで重要なことは「生病老死」(釈迦=シッダルタが解こうと出家した原因になったとされる苦しみ)という四苦があることがわかっているのに、なぜ人はこの世に生まれてくるのか?ということをご理解いただければ幸いです。

釈迦=シッダルタが疑問を抱いた「生病老死」とは?

みなさんもご存知の通り、釈迦は仏教を開祖した人と言われています。

もとをたどれば「病老死」の三苦だったんですが、その三苦あるがゆえ「生」も苦なのだと。
あるいは、「苦」を生じさせる根本的な原因が「生」にあるのではないか。というものです。

生病老死+1つの苦があります

この世に生を受けたからには、老いていくこと、病気になること、死ぬことからは誰ひとりとして逃れられることができません。

その生病老死ですが、さらに1つ加える苦しみがあります。
それは何かというと、死に逝く間際に走馬灯のようにグルグルと目の前に浮かんでくる「後悔」という苦しみです。

生病老死+後悔で、人には五苦あると思えてきませんか?

けど、安心してください。
死に逝く間際の後悔はあらかじめ解放しておくことができます。

あらかじめ後悔を解放しておくには?

あらかじめ後悔を解放するのは、難しいようで簡単なことでもありますし、簡単なようで難しくもあります。

『やろうと思ったことは、すぐやる』
『現実から逃げようとしない』
『自分にも他人にも甘えない』
『考えても悩まない』

「どうせ○○だし…」という考えを今すぐ捨て去り、「どうせ○○なら!」に意識(気持ち)切り替えるんです。
「どうせ○○だし…」と「どうせ○○なら!」の大きな大きな違いはわかっていただいてると思いますので、その違いを書くことは省略します。

約95%の人が大きな後悔にさいなまれます

ひとが死に逝くとき、約95%の人が後悔に苛まれます。

「家族との時間をもっと持てばよかった」
「もっと長生きしたかった」

「どこそこへ行きたかった」
小さい後悔であれば「出世したかった」「元気なうちに食べたいものがあった」というものもあります。

一言で表すと『やり残したこと』なんです。
もうすこし砕いて表すと『今世で(今生で)やろうと思ってたけど、ついつい後回しにしてできなかったこと』となります。

これが大事
『与えられた時間は永遠ではない』ということを忘れないでください

不慮の事故で命を落とす人にも後悔はあります。

心肺停止してからも脳は20秒前後は活動していますので、周囲の音は聞こえますし、周囲の景色なども見えます。
もちろん20秒のあいだは思考もあります。
そのわずか20秒ですが、ほとんどを後悔で終わらせてしまうんです。

人は何故「生」を受け、何故「死」に逝くのか?

「なぜ生まれてくるのか?」と聞かれたときは、「死ぬため」と答えていいでしょう。
「なぜ死ぬのか?」と聞かれたときは、「来世を生きるため」と答えていいでしょう。

少し視点を変えてみます。
「なぜ生まれてくるのか?」と聞かれたときは、「前世(1つ前。過去世は、すべての過去)にできなかったことを成し遂げるため」と答えていいでしょう。
「なぜ死ぬのか?」と聞かれたときは、「今世(今生)で後悔した物事をやり直し、成し遂げるため」と答えていいでしょう。

最後のまとめ

一見すると重たい内容のブログに思う方もいらっしゃると思います。
しかし、書いていることは生死(死生)の仕組み(本質、真理)ですので気楽な気持ちでお願いします。

『ひとりでも多くの人が後悔のない幸せな人生を送れますように』

 

長くなりましたが、いつも最後まで読んでいただきありがとうございます。
ご質問、ご意見はこちらのコンタクトフォームからお願いします。
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